墨田区の紹介

墨田区江戸時代

東京のシンボルでもある東京スカイツリーのおひざ元である墨田区。墨田区は、両国橋広小路のにぎわいや下町の職人や商人によって、現代に続く江戸文化が生まれたまちであり、文化文政時代に花開いた庶民文化・江戸文化を見て、感じることができます。
江戸時代、1657年に発生した明暦の大火は、江戸の市街の6割を消失させ、10万人が亡くなったといわれています。
亡くなった人々を供養するために、回向院が建立され、大火の時に隅田川畔で逃げ場を失った人々が多くいたことから、1659年に両国橋が架けられ広小路が設けられました。
回向院には多くの人々が参拝に訪れ、回向院の門前にあたる両国橋の広小路には屋台などの多くの店ができ、そこから「江戸前寿司」や「天ぷら」、「そば」、「うなぎ」など現代につながる食文化が生まれました。

さらに、この時代、江戸の人々の楽しみは、歌舞伎と相撲見学であり、回向院では、寺社の資金集めを目的に相撲が行われるようになり、現在の相撲のまち両国を築きました。
下町と呼ばれる両国のまちには、多くの職人が暮すようになり、日用品の製造販売などモノづくりの基盤がつくられ、これが現代に続くモノづくりのまちの墨田につながっています。
また、この下町から世界的に有名な浮世絵師、葛飾北斎が誕生し、多くの作品を残しています。